培其根(ばいきこん)

東井 義雄(とうい よしお) 

明治45(1912)年、兵庫県豊岡市但東町の浄土真宗東光寺の長男として生まれた。姫路師範学校を20歳で卒業後、但馬地方の小中学校に勤務。その熱意溢れる教育指導が評価され、47歳の時に広島大学より「ペスタロッチ賞」を受賞。その影響は全国に及んだ。52歳の時、請われて生徒数700名の八鹿(ようか)小学校校長となる。

東井校長と八鹿小学校の実践の素晴らしさが広く知られるようになり、各地から多くの参観者が訪れるようになった。8年間校長を務め、定年退職。その後は短期大学の講師を務める傍ら全国各地で講演、その数は年間300にも及んだ。79歳で没するまで、約60年、生涯を教育者として生きた人である。哲学者の森信三師をして「日本の教育界の国宝」と言わしめた。

 

教育者としての東井氏を際立たせるものに八鹿小学校長時代に発刊し続けた『培其根』がある。文字通り其の根を培う(養い育てる)の意である。最初は教師が校長に提出する「週録」

だったが、すべての教師に知ってほしいことを取り上げ、そこに校長としての思いや願いを書き込んだものである。

 

東井校長のもう一つの特徴は、毎年卒業していく子供たち一人ひとりに、卒業証書と自筆の色紙を手渡したことである。最後の「培其根」に105人への色紙の言葉が載っている。一部を紹介する。

 

ほんものはつづく。つづけるとほんものになる

      (早朝マラソンを続けている女子生徒に送った言葉。以下省略)

 

あすがある、あさってがあると考えている間はなんにもありはしない。かん

              じんの”今”さないんだから。

 

自分は自分の主人公。世界でただ一人の自分を創っていく責任者。

 

問題に追いかけられるのではなく、問題を追いかけていく。

 

一を粗末にして二には進めない。三、四、五、六、七、八まで進んでも、ま

          だ九(苦)を越えなければ、十の喜びはつかめない。

 

意味というものは、こちらから読み取るものだ。ねうちというものは、こち

 らが発見するものだ。すばらしいもののなかにいても意味が読みとれず、ね

 うちが発見できないなら、瓦礫の中にいるようなものだ。

 

小学校卒業時にこのような言葉を贈られた子は、その言葉を根っこにして自分の人生を養っていったに違いない。子供たちの特徴を掴み、的確なアドバイスを送る。なかなかできないことである。

 

『根を養えば樹は自ら育つ』 

「根を養えば樹は自ら育つ」「高く伸びようとするには、まずしっかり根を張らねばならない。基礎となる努力をしないと、強い風や雪の重みに負けてたおれてしまう」

教育は子供たちの心の根を養うものでなくてはならない。東井氏の教育者人生を貫いた信条である。                    (2020.11月致知根を養うより参照、抜粋)

                                          (令和2年10月26日作成)