タイムスリップ

 昨年(2014年1月16日)、最後の日本兵・小野田寛郎さん(91歳)が亡くなった。

 

  戦後フィリピンのルバング島に約30年間潜伏し戦闘を続けていましたが、1974年(昭和49年)に発見され、上官による「任務解除命令=命令下達」を受けて3月12日帰国する(当時51歳)。私自身、中学生だったと思いますが、当時のNHKで放送された報道特別番組の中で、タラップの上で敬礼され、総理をはじめとして、両親やたくさんの方々に迎えられた光景は今も鮮明に焼き付いています。

 

  帰国した小野田寛郎さんの戦いはまだ終わっていなかったといいます。

『小野田さんの新たな戦い。それは、戦後30年をかけて変わってきた日本人の意識と、30年前の日本をそのまま持ち帰った、自らの意思との戦いだったという。』帰還直後はともかく人が怖く、当時の日本には自分の居場所がなく、社会に復帰し順応するにはどうすれば良いか、虚脱状態の日が続いたという。

 

「命と死」について深く考えさせられた、小野田寛郎さんの言葉を紹介します。

 

      私は戦場での30年

     生きる意味を真剣に考えた

     戦前人々は命を惜しむなと教えられ

     死を覚悟して生きた

 

     戦後、日本人は何かを

     命懸けでやることを否定してしまった

     覚悟をしないで生きられる時代はいい時代である

  

     だが死を意識しないことで

     日本人は生きることを

     おろそかにしてしまっていないだろうか

 

 

※帰国後、大きく変貌した日本社会になじむことが出来ず、わずか半年で日本を離れ、次兄のいるブラジルに移住す

 ることを決意する。帰国後に結婚した妻の町枝さんと共に移住し、10年を経て牧場経営を成功させた。

※1984年、日本にもどり「小野田自然塾」を主宰する。キャンプを通じてたくましい青少年の育成を目指した。

 (凶悪な少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛め、祖国のため健全な日本人を育成したいとのことで)

※1989年、私財を投じて財団法人を設立。講演活動も精力的に行う。