今日1月6日から、24節気の「小寒」に入りました。(~19日頃)
「小寒」とは、「寒の入り」といわれ、これから更に寒さが厳しくなるころ。小寒から節分までの三十日間のことを「寒の内」と言います。寒が明けると立春になります。
《旬のもの》
花…『蠟梅』 木…『柊』 魚…『河豚』 野菜…『七草粥』
《行事》
「十日戎」 … 七福神の一人である「戎神」を奉る、年初めの祭りです。
「七草粥」 … 無病息災を願い、1月7日に春の七草の入ったお粥を食べます。
(春の七草…セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)
※当院では、上の写真のように、一年を通して玄関に注連縄を飾っています。
十年位前に、伊勢神宮を参拝した際に伊勢地方では年間を通して飾ってあることを知り、翌年の神宮「冬至詣り」に参加して、手づくりの注連縄を作りました。それから毎年、玄関に飾っています。
【蘇民将来子孫家門】のいわれ
(三重県、伊勢・志摩の風習として、毎年大晦日に新しい注連飾と取り替えられます。一年中飾っておきます。)
『宇治山田市史』、『備後風土記逸文』を引用して、
スサノオミコトが、南海への旅の途中、蘇民将来・巨旦(コタン)将来という名前の二人のいる兄弟の地に立ち寄り、そこで、ミコトは一晩泊めてくれるよう二人に頼みました。弟の巨旦はとても裕福だったのですが、断りました。兄の蘇民は貧しかったのですが親切にミコトを泊めてあげました。スサノオノミコトは喜び、蘇民に「今後、この地に悪い病気が流行った時には、蘇民将来の子孫であると言い、茅輪(ちのわ)(茅や藁(わら)を束ねて作った大きな輪)を腰に着けなさい。そうすれば病気を免れるでしょう」
と言って、その地を立ち去った。 という言い伝えを載せていますが、こうしたことからか、現在でも札に蘇民将来子孫と書いた注連縄を飾り、家の中に邪霊が入るのを防ぐ呪符の意味を持たせているようです。